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遊具2
ロディ
ロディ(Rody)は、イタリアのレードラプラスティック社が発売している、馬をモチーフにした乗用玩具である。
発売開始は1990年。 材質は塩化ビニール製で、ドイツ工業技術審査会で認められた、強度の優れたものが使用されている。 ヨーロッパ玩具製造安全基準(EN71)、欧州連合安全基準(CE)、技術検査協会(TUF)の検査基準に適合。 日本では、食品衛生法新基準に適合している。 対象年齢は3歳以上。
耐荷重は200kg。 自社製のビニール素材の強度をアピールする目的で発売されたとも言われ、非常に丈夫に作られている。 「何が刺さっても破裂しない」と言われることもあるが、傷ついたり破れたりすると修理が効かないことから、発売元では、そのような扱いはしないように推奨している。
日本では2000年から正式に発売されている。 本来の用途は元より、インテリアとしても用いられている。 また、そのシンプルで可愛らしいルックスから、元々の商品とは独立したキャラクターとしても受け入れられており、キャラクター商品も多数発売されている。 2007年頃からはキューピー、ハローキティ、モンチッチといった、ヨーロッパで知名度の高いキャラクターとのコラボレーションもされている。

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雲梯
今日では、雲梯は懸垂運動を行なう遊具として知られている。 別名『さるわたり』と呼ぶ事もある。 金属パイプ製のはしごを水平、あるいは弧状や山型に設置し、ぶら下がりながら手を伸ばして移動する。 また、上に乗って遊ぶこともあるが、この遊び方は危険だとして学校などでは禁止される場合も多い。 ギネスブック認定世界最長の雲梯は高知県香南市(旧吉川村)の桜づつみ公園に設置されている「モンキーバー」で、全長102m。
棒のぼり
棒のぼり(ぼうのぼり)とは、主に小学校で、地面に直立した棒を上るトレーニング。 またはそのための棒および棒を支える器具。
小学校体育で、腕や足の筋肉を鍛えるために児童に行なわせる。
元は木登りの訓練を応用したものである。
足の裏・足の指を上手に使うことで昇りやすくなることで、基本的に裸足で昇る。 そのため、足を鍛えるためには効果があるとされる。 昇った後に勢い良く降り過ぎると、手や足と棒の間に摩擦熱が発生し、熱く感じることがある。 酷い場合は軽い火傷を負うこともある。

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日本の伝統的遊び遊具
竹馬
竹馬(たけうま)とは、遊具の一種。 またはそれを利用した遊びの名称。 後者は竹馬ごっことも呼ばれる。 高足(たかあし)、高脚(同)ともいった
歴史 遊具
2本の棒につかまって歩くものがある一方、竹の枝(先端部の箒状になっている葉の部分)に跨り、これを馬に見立てて引きずる遊びも古く中国より竹馬と呼ばれた(→桓温)が、こちらは専用の道具などが作られ「お馬さんごっこ」などに収斂され、さらには乗馬が非日常的な行為になるに従って、後者は竹馬のイメージから外れていった。 高足(たかあし)、高脚(同)ともいって、江戸時代後半にいまでいう、前者の竹馬が定着したといわれている。
前者の意味の竹馬は、不安定な2本の立てた棒につかまって歩く遊びで、平衡感覚と腕や足の運動により倒れないようにして移動するものである。 似たようなバランスをとって乗る遊びは世界各地に見られ、英語では Stilts と呼ばれる木の棒で作られたもの(後述)もみられるが、こちらは遊び以外にも一種の芸としても披露される。 また日本の竹馬の沿革も、田楽舞に求める見解もある。
日本においては、いわゆる「竹馬の友」(ちくばのとも・幼馴染と同義)などの語がしばしば引用される通り、子供の遊びとして高度経済成長期頃までは普遍的であったが、21世紀現在はあまり一般的とはいえなくなっている。 それでも健全で活発な子供の育成に有効な玩具(遊具)というイメージもあり、これを積極的に体育に取り入れる小学校も見られる。
竹馬と呼ばれる道具自体は、1〜2mの棒に、長さ20〜30cm、幅10cm程度の踏み板をしっかり固定したものを2本使用する。 板は各々の棒の一端から20〜50cmの位置に、双方同じ長さで取り付ける。 元々は植物の竹を棒とし、踏み板は木の板を針金や綱などでしっかり固定して作られ、これが「竹馬」(竹製の、乗るもの)と呼ばれる語源にもなった。 これらは各家庭で作られるなどしていが、1970年代頃にはステンレススチール製パイプなどを利用し、プラスチック製の踏み台を備えた製品が出回るようになっている。 ただ家庭にある道具で簡単に作れるため、21世紀現在でも依然として手作り竹製の竹馬も見受けられる。
遊び方 遊具
板のところに片方ずつ足を乗せ、棒の部分を持ってバランスを取りながら歩く。 板の取り付け位置が高いほどバランスが取りにくくなるため、段階をおってステップアップする練習が行われる。 やや前のめりに重心を置くと歩きやすい。
走りまわって遊ぶことの他、ボールを使用しサッカーに似た遊び等も可能である。 裸足で乗り、足の指で掴むようにすると動きやすい。 逆に底の厚い靴を履くと滑りやすい。 足の裏の感覚も、バランスをとり踏み板との状態を確認するのに役立つためである。
自然の竹を使用する際は、伐採したばかりのものは水分を含み重いため、半年から1年ほど放置し乾燥させた物を使用する方が扱いやすい。 既製品ではステンレスパイプが使われるが、使い勝手から見ると自然の竹の方が軽く、遊ぶことに適している。
その他の形態 遊具
なお、サーカスなどで見られる西欧の竹馬は足に固定するものであり手は使用しない。 このときの竹馬は棒の長さが4〜5m、に及ぶものもある。
また、猿まわしの芸として、サルに竹馬に曲乗りさせる芸もある。
諸外国では 遊具
海外では、欧米でも(英語:Stilts、スティルツ)、中国でも(中国語繁体字: ?高?、ツァイガオチャオ Caigaoqiao )、お祭りのときなどに、高くした足を体全体に着けた派手な衣装で覆い隠し、特別に背の高く見える人たちが練り歩く、「高足」という古い言葉がピッタリの習慣があり、通常この意味で使われる。
竹馬に関する言葉 遊具
竹馬の友
竹馬経済 - ドッジが敗戦直後の日本経済を比喩した言葉。

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お手玉
お手玉(おてだま、御手玉)は、小さな布袋に小豆や米、ジュズダマの実などを入れ、数個を1組にして縫い合わせた玩具のこと。 また、それを使って遊ぶことを「お手玉をする」などという。 地方によって、じゅずだま、おじゃみなどと呼ぶところがある。
遊び方 遊具
いろいろな遊び方があるが、歌にあわせ、手をつかって、一定のルールでほうり上げて楽しむようなものが一般的である。 同時に複数の玉をほうり上げるなど、ジャグリングに似た要素があり、技巧の上達を楽しむことができる。
男の子がお手玉で遊ぶことはあまりなく、伝統的に“女の子の遊び”であった。
起源 遊具
欧州の遊牧民が袋に粒状の物を入れて遊んだのが始まりと言われている。 日本では、奈良時代に中国から伝わり、当時は手ごろな大きさの小石や水晶を利用したことから石名取玉と呼ばれていた。 実際に聖徳太子が遊んだとされる水晶も発見されている。 現代のお手玉は江戸時代から、明治初期にかけて多く作られた。
伝承遊具として 遊具
元来、お手玉はありふれた遊びとして親しまれ、母から娘、孫へと、作り方や遊び方が伝承されたものだった。 しかし、1950年代ころから核家族化が進行するとともに(祖母から孫への)伝承が難しくなり、また、多種多様な遊びがまわりに溢れるようになり、徐々に忘れ去られていった。
現在では小学校などを中心に日本の伝統的な遊びとして受け継がれている。
その他 遊具
「手玉に取る」とは、少女たちがお手玉を巧妙に投げたり打ったりして遊ぶように、人を上手に操り、また、他人をあたかもものや道具のように扱うという意味の慣用句に用いられる。 「手玉」には、装身具の「腕輪」の意味もあるが、ここではおもちゃのお手玉のことである。
野球の守備で、ボールを掴み損ねて送球に手間取ることを俗にお手玉という(ジャッグルの日本語訳)。

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独楽
独楽(こま)は何らかの塊を軸を中心として回転させて遊ぶ伝統的な玩具の一種。 軸の先は細くなっており、周りにバランスをとるための重りがついて通常は逆円錐形をしている。 回転する独楽が安定するのはジャイロ効果である。
独楽の分布 遊具
独楽は世界各地でみられ、英語では top または spinning top、ドイツ語では Kreiselと呼ばれる。 「独楽」は中国語表記。 日本では古くはコマツブリまたは古末都玖利(コマツクリ)と呼ばれた。 世界各地にそれぞれ独自に発生したものと思われ、独特なものが各地に見られる。
一般には子供の遊びと考えられているが、マレーシアのガシンのように、地域によっては大人も巻き込んだ楽しみになっている場合もある。 賭ゴマは大人の遊びである。 また、日本の曲ゴマや中国の空中ゴマなど、芸能として認められている。
日本では、独楽作りは各地の民芸品、木地玩具としても作り続けられている。 現在では淘汰が進んでしまったが、地域の名を冠する各地に固有の独楽はまだまだあちこちに残っている。 特に九州には多くの独楽が知られている。
歴史 遊具
独楽は極めて古い歴史を持つ。 ひねりゴマが最も簡単なこまで、これが初めであると考えられるが、実質的な証拠としてはぶちゴマが古くから存在したことが確認されている。 エジプトでは紀元前1500年ごろの独楽が発見されているが、これは木製で円柱の下を逆円錐に削ったもので、ぶちゴマと考えられる。 古代ギリシャにもぶちゴマやひねりゴマに関する記述が見られる。
ぶちゴマは、胴を横から鞭で叩いて回す独楽であるが、回し始めの時には先ず紐を巻いてそれを引くことで回すものがある。 どうやらこれが紐で回す投げゴマの起源となったらしい。 ヨーロッパでは17世紀頃から投げゴマに関する記述や絵が見られるようになる。 そこで見られる独楽は投げゴマとぶちゴマが半々程度である。 19世紀末からは、工業の機械化や加工技術の進歩によって、より複雑な独楽が工夫されるようになった。 地球ゴマの原型もこの頃に作られた。
日本における歴史 遊具
日本では6世紀ころにぶちゴマのような木製の出土品があるが、確実にぶちゴマだとは言い切れない。 また、平城京跡や奈良県藤原宮跡などからも7?10世紀ごろのものと思われる独楽、または独楽型の木製品が出土している。 平安時代ごろにはすでに大陸から伝わっており、独楽を使って遊んでいたと言う記録がある。 これもぶちゴマであったらしい。 また、宮廷の儀式などにも使用されていた。 14世紀、『太平記』にはこまという言葉が出てくるが、これはこまつくりを略したものである。 また、東北地方では、すぐりなどと、最初の2文字を略していた。
18?19世紀にかけてヨーロッパでは独楽が流行したが、日本でも江戸時代には独楽が大進歩を遂げた。 博多ではそれまでよりはるかに精密で長く良く回る独楽が作られた。 これは博多ゴマと呼ばれ、この独楽を使って曲芸を見せるのが現在まで伝わる曲ゴマの始まりとなった。 元禄年間にその記録がある。 しばしば禁令も出されたようである。
江戸の子どもたちは巻貝を加工した小さな独楽の回しっこをしていたことが伝えられており、これが明治中期に金属となって現在のベーゴマになった。 ベーゴマも当初はぶちゴマであったらしいが、次第により強く回せる投げゴマに変化したらしい。 ぶちゴマは江戸中期に次第に投げゴマに取って代わられたようで、明治以降には日本国内ではあまり見かけられなくなり、昭和後期には商品としては皆無といってよい存在となった。 それに代わって投げゴマが日本では独楽の標準の位置についた。 子どもの遊びにもこれが使われ、天保年間には喧嘩ゴマとしてより強くなるように胴の外側に鉄輪をはめた鉄胴ゴマが作られるようになった。 この形の独楽は永く残り、昭和末まではどこの駄菓子屋にも置いてあったものである。 今治市の生産業者は、最盛期には年間200万個も生産したと言う。
しかし、昭和末より次第に投げゴマはすたれ始める。 恐らく、子供が外で遊ばなくなり、また、戸外で独楽を回す環境が成立しなくなったためと思われる。 駄菓子屋で独楽が山をなした風景は現在では見ることができない。 代わって室内で機械式の回転装置をもつ独楽がよく見掛けられるが、室内遊戯である。 1999年にベイブレードが出て子供の間でブームになったが、やはり投げゴマではなく回しやすい機構を備えている。
最近の人妻は孤独で寂しいのです。だから 人妻の本当の内面を見ましょう。
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