伝統的遊び

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    伝統的遊び


    凧(たこ)とは風の力を利用して空中に揚げる玩具である。
    日本では正月の遊びとして知られている。
    木や竹などの骨組みに紙、布、ビニールなどを張って作られる。
     
    各種の凧
    和凧
    連凧
    正月飾りに使用される凧凧は中国が発祥地だと考えられている。
    中国の凧は昆虫、鳥、その他の獣、そして龍や鳳凰などの伝説上の生き物など、様々な形状を模している。
    現代中国の凧で最上のものは竹の骨組みに絹を張り、その上に手描きの絵や文字などがあしらわれている。
    日本の伝統的な和凧は竹の骨組みに和紙を張った凧である。
    長方形の角凧の他、六角形の六角凧、奴(やっこ)が手を広げたような形をしている奴凧など、各地方独特の様々な和凧がある。
    凧に弓状の「うなり」をつけ、ブンブンと音を鳴らせながら揚げることもある。
    凧は安定度を増すために、尻尾やしっぽと呼ばれる細長い紙(ビニールの場合もある)をつけることがある。
    尻尾は、真ん中に1本つける場合と両端に2本つける場合がある。
    尻尾をつけると、くるくる回ったり、ふらふらするのを防ぐことができ、真上に揚がるように制御しやすくなる。
    スポーツカイトは1960年代に登場した凧である。
    2本、4本など複数のラインを用いて自在に操ることができる。
    第二次世界大戦中、アメリカ海軍では対空射撃の訓練用として、2本ラインの凧が使用されたが、これがスポーツカイトの原型となった。
    定期的に競技会が開かれ、決まられた図形を凧でなぞっていく規定競技や、音楽にあわせて様々な技を披露するバレエなどで、操縦技術が競い合われる。


    凧

    他にも、以下のような凧が良く知られている。
    ぐにゃぐにゃ凧
    2つの棒に間にビニールをつけて作る凧。
    製作が簡単な割りには良く飛ぶ。
    ゲイラカイト
    1974年にアメリカから輸入された三角形の凧。
    当時一大ブームを起こした。
    和凧と異なり、プラスチックの骨組みにビニールが張られており、非常に簡単に凧揚げが可能である。
    NASAの元技術者が開発したという触れ込みであった。
    2005年に日本上陸30周年記念としてスカイスパイ(血走った大目玉のデザイン)のスポーツカイトが発売された。
    立体凧
    立体的な凧。
    「行灯凧」など。
    連凧
    小型の凧を複数連ねたもの。
    鳥凧
    鳥の格好をしたもの。
    セミ凧
    セミの格好をしたもの。
    六角凧
    新潟県三条市が特に有名。
    六角形をしたもの。
    バイオカイト
    2001年伊藤利朗により開発。
    そよ風程度の風力で揚がり、気候天候を問わず、形状の可能性が無限にある。
    流体力学や航空機力学を応用している為、斜めではなく真上に高く揚がるのが特徴。
    仕掛け凧
    蝶の形状を模した風弾(ふうたん)が有名。
    揚がっている凧に装着する。
    上空のストッパーに当たると羽根が折りたたみ落ちてくる。
    沖縄県の八重山諸島ではシャクシメーと呼ばれている。
    なお、鉄塔、電柱のあるところの近くで凧を揚げると、凧が電線に引っかかる危険がある。
    万が一引っかかった場合には感電する危険性が非常に高いため、絶対に自分で取ってはならない。
    凧糸からでも感電する危険性がある。
    電力会社に連絡して取り除いてもらうこと。
      

    実用の凧
    実用の凧
    気象観測
    19世紀末から20世紀前半にかけて、箱型のボックスカイトに測定機器を取り付け、風速、気温、気圧、湿度など、高層の気象観測が行われた。
    カイトフォト
    軽量カメラをつけた凧を上空に揚げ撮影を楽しむ。
    地上から300m以下の低空の空中撮影が可能で、各種の学術調査にも利用されている。
     
    凧と日本文化
    凧を「タコ」と呼ぶのは関東の方言で、関西の方言では「イカ」、「いかのぼり」(紙鳶とも書く)と呼ばれていた。
    凧が、「タコ」や「イカ」と呼ばれる由来は、凧が紙の尾を垂らし、空に揚がる姿が、「蛸」や「烏賊」に似ているから、という説がある。
    長崎では凧のことをハタといい、ハタ揚げ大会が開かれる。
     
    正月の風物詩としての凧
    かつては、正月を含む冬休みには、子供たちが凧揚げをする光景が良く見られ、玩具店のみならず、子供たちが買い物をする頻度の高い、身近にある駄菓子店や文房具店などで凧も販売されていた。
    特に凧揚げが盛んに行われていた時代(1970年代)、冬休みの時期には、電力会社がスポンサーの夕方のニュース番組で、「凧揚げは電線のない広い場所で」「電線に引っかかったら電力会社にご連絡ください」という内容のコマーシャルがよく流されていたほどで、当時のトラブルの多さを窺わせる。
    凧揚げが安全にできる広い空間が少なくなったことに加え、少子化や、ゲーム機の普及などもあり、正月の凧揚げの光景も少なくなった。
     
    凧揚げ大会
    凧あげ競技主に正月から2月にかけて、全国各地で凧揚げ大会が行われている。
    河川敷や大規模公園で行うことが多い。
    滋賀県東近江市では、面積100畳(縦13メートル、横12メートル)、重さ約700キロの大凧(おおだこ)を揚げる「八日市大凧祭」が行われている。
    八日市大凧は江戸時代中期から始まった。
    1882年(明治15年)には、220畳の大凧が揚げられたという記録がある。
    現在では、「近江八日市の大凧揚げ習俗」は国の無形民俗文化財に指定されている。
    他にも大凧を揚げる大会としては、埼玉県春日部市、神奈川県相模原市、神奈川県座間市、新潟県新潟市(白根大凧合戦)、静岡県浜松市(浜松まつりを参照のこと)、愛媛県内子町(五十崎の大凧合戦)などの凧揚げ大会が知られている。
     
    凧に関する逸話
    大凧に乗って名古屋城の金鯱を盗もうとした盗賊の話が知られているが、この話は江戸時代に実在した柿木金助という盗賊がモデルになっている。
    実際には柿木金助は名古屋城の土蔵に押し入ったに過ぎないが、1783年(天明3年)に上演された芝居「傾城黄金鯱」によって金鯱泥棒として世に知られるようになった。
    1752年、ベンジャミン・フランクリンは、雷雨の中で凧を揚げ、雷が電気であることを証明した。
    これは感電の危険があるため行ってはならない。
    フランクリンが成功したのはまぐれといってもよく、それ以前や追試で何人かが試みて感電している。
       

    けん玉
    けん玉
    けん玉(けんだま)は、十字状の「けん(剣)」と穴の空いた「玉」で構成される玩具。
    日本をはじめ、世界各国で遊ばれている。
    なお表記には剣玉、拳玉、剣球などがあるが、21世紀初頭では「けん玉」が一般的。
     
    歴史
    ワイングラスと毛糸球、シカの角と木製の玉など2つのものを糸または紐で結び、一方を引き上げまたは振り、もう一方に乗せる・穴を突起物にはめるような玩具は昔から世界中に存在する。
    例えば日本のアイヌ民族のウコ・カリ・カチュ、アメリカの五大湖周辺のインディアンに伝わっているジャグジェラ、エスキモーに伝わるアジャクゥァクなどである。
    その中でフランスのビルボケ (Bilboquet) は16世紀頃から子どものみならず貴族や上流階級の人々にも広く浸透し、国王アンリ3世も愛好したという記録も残っている。
    このようなことから、ビルボケがけん玉のルーツというのが一般的な説である。
    ビルボケやメキシコのバレロ (Balero) などは現在も販売されている。
    日本に紹介されたのは江戸時代といわれ、1830年に喜多村信節が著した『喜遊笑覧(きゆうしょうらん)』に「安永六七年の頃拳玉と云もの出來たり」とあるのが知られており、当初は酒席の遊びであったと考えられる。
    ただしこの資料にはけん玉の図はなく文章で紹介されているだけだった。
    しかし、それよりも前の資料である1809年の『拳会角力図会』に「すくいたまけん」としてけん玉が図つきで紹介されていることが1981年に判明した。
    明治時代になり、文部省(現在の文部科学省)発行の児童教育解説『童女筌』(どうじょせん、1876年)にて「盃及び玉」として紹介されてから子どもの遊びへと変化していった。
    やがて大正時代に入り、従来のけん先と皿1つで構成されたけんに鼓をヒントにした皿胴を組み合わせた「日月ボール」(または「明治ボール」)が発売され、現在のけん玉の形がほぼ完成した[4]。
    日月ボールは1919年5月14日に実用新案として登録された。
    日本でのけん玉の大流行は1907年、1924年、1933年とされている。
    また、1977年は「けん玉ルネッサンス」といわれる爆発的な大流行となった。
    この流行には、皿胴に糸を出す穴を開けるなど合理的な設計がされた競技用けん玉が普及したことが影響している。
    競技用けん玉の普及のほか、競技会の開催や級・段位認定制度、持ち方や構え方などのルールの統一といったことがけん玉の普及・発展に寄与した。
    しかし、そのことが原因で全国のけん玉の遊び方が画一化し、各地の伝統的な遊び方が失われてしまったのではないかという指摘もある[7]。
    21世紀初頭では、前述の「競技用けん玉」が一般的となったが、民芸品や単純な玩具としてのけん玉も各地に存在する。
    また、1945年まで日本が統治していた台湾でも、日月球(リーユエチュウ)や劍球(ジエンチュウ)と称してけん玉が遊ばれている。

    セフレ
    水切り
    水切り(みずきり)は水面に向かって回転をかけた石を投げて水面で石を跳ねさせて、その回数を競ったりする遊びの事。
    「水の石切り」、「石切り」とも呼ばれる。
    世界中、ある程度の大きさを持つ水面と石のある場所であれば、どこででも見られる遊びである。
    アメリカでの呼称はStone skipping。
    日本における跳ねた回数の単位は「段」。
    Stone skipping水切りは簡単に誰にでも出来る遊びとして各地で行われており、水切りのイベントが行われることもある。
    また、熊谷市などでは市民の同好会的組織も存在している。
    水切りを行う際は、投げる前方に遊泳中の人がいないかなど、周りの人にけががないように注意するとともに、水鳥などの野生動物への配慮も忘れてはならない。
     
    記録
    世界
    2008年現在のギネス世界記録は、2007年7月19日にRussell Byarsが記録した51段である。
    それ以前の記録は、2002年9月14日にカート・スタイナー(Kurt Steiner)が "Pennsylvania Qualifying Stone Skipping Tournament"で記録した40段であった。
     
    日本
    日本記録は千葉ロッテマリーンズ投手の渡辺俊介がテレビ番組「徳光&所のスポーツえらい人グランプリ」にて出した32段である。
     
    科学的考察
    NHKテレビ「熱中時間 忙中"趣味"あり」で、超高速度カメラやコンピュータを使い、水切りを科学的に分析した結果が紹介された。
    それによると、よく跳ねるための水面との角度は、前面が10°浮き上がった状態が最もよいとされる。
    また、石自体が高速回転(番組中では1秒間に30回転)していることが大切で、回転が遅いと早く水没してしまう。
    石の形は、平型、かまぼこ型、レンズ型などがよいが、計算上はレンズ型が最も適している。
    フランスの物理学者Lyderic Bocquetらや、永弘進一郎(現・宮城高専)らの研究によると、石が最も良く跳ねるには、石と水面との角度は20oが最適であるとされている。
    また、Bocquetは、Coleman-McGheeの元ギネス世界記録38回を達成するためには、秒速12メートルの速度と、毎秒14回転が必要であると算出している。
     
    反跳爆弾
    この水切りの原理を兵器に応用したものが反跳爆弾で、第二次世界大戦中にイギリスがドイツのルール地方にあるダムを破壊するために開発した『ダムバスターズ』が有名である⇒チャスタイズ作戦
    最近様子がおかしい セフレ関係も終わりに近いのかもしれない。

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